さてTDLにいる娘。
ナビとケータイで見るとどの道路も大渋滞。
TDLなら安心だよ。無理して迎えに行かなくてもいい。
なんて話してたが娘から何回もメール。

アトラクションは停止していて皆外で座っている。
スタッフの指示で集合して点呼とってる。
レストランやショップの中に入らせてはくれない。
寒くて泣きそう。お腹も空いてきた。
などなど・・・。そのうちに
同行の友人の具合が悪くなって救護室にいる。
って、えぇ?!やっぱ迎えが必要?
友人のお母様とも連絡がとれて世田谷からTDLへ
旦那と向かいますとのこと。
んじゃあ私達も向かうしかないし。

娘は既にケータイの充電がほぼないとか・・・
ワンセグ見てたらしい。考えなさいよ!
友人のケータイはまだ大丈夫みたいでよかったけど。

私達はまずR15で都内を北上するも酷い渋滞。
到着まで何時間かかるかわからない状況。
R15の歩道は川崎横浜方面へ歩く人で大混雑。
歩いてる人はケータイで情報収集してるようでした。
停電で信号が点いてなくて大きな交差点は警官らしき人が。
どのバスもすし詰め。バイクや自転車が車の間をぬって走る。
そして品川近辺にさしかかる・・・何時間か前に私いたし・・・。
海岸に近い道路を通ったり、ナビ見ながら住宅街走ったり
どこまで行っても大渋滞の中、やっと「ここから千葉」
とかいう標識を見つけて嬉しかった。
とにかくどこをどう走ったのか今となっては全く記憶ナシ。
唯一、レインボーブリッジの下の一般道がガラガラだった
のだけ憶えてる。

葛西から舞浜まで普段数分のところ1時間半位かかったが
なんとか舞浜駅前に到着。するとなぜか車が不規則に停車してる?
よく見ると道路が液状化してドロドロしてた!
そのドロドロを避けて停車してたわけです。
TDLの入口付近も同様で段差ができてたり、ヒビがあったり・・・
確かこの時点でAM4時位。入口にいるスタッフに迎えに来た旨と
娘の名前を告げるとホーンテッドマンションの救護室に
いるとわかった。一番奥かよ!!
一部だけしか電気が点いてないTDL。ちょっと不気味だけどレア。
スタッフが救護室まで案内してくれ無事ご対面。
友人の具合もほぼ良くなっていて安心した。
その後も出口までずっとスタッフが付いていてくれありがたかった。

TDLで外にいる時は大きいビニールを配ってくれて
それを被って寒さをしのいだそう。すごい暖かかったって!
室内に移動後はお土産用のお菓子やら非常食の混ぜご飯やらを
頂いたようで、満腹状態の2人であった(笑)

その後、葛西臨海公園駅前で待機してた友人のご両親と
お会いして挨拶をし帰路に。
逆方向の帰り道は一部首都高が通行可になったこともあり
白々と明けてく空を見ながら順調に帰宅しました。
AM6時半頃に自宅到着。気絶するように寝たわい。
川崎~TDL~川崎に12時間以上かかった(^^;
でも被災した方々に比べればこんなことなんてことない!
家族親族を亡くされた方、心よりお悔やみ申し上げます。
被災された方、希望を捨てずに生きましょう。
世の中捨てたもんじゃないです。
日本人てすごいなぁと心底思います。



後日知ったのだが、娘の学校は最新鋭の免震のビルだから
揺れはあまり感じなかったそう。
11日は試験休みだったのだけど
部活等で登校してて帰宅できなくなった生徒は学校に泊まり、
先生が炊き出ししておにぎりを作ったらしい。
その様子がHPに写真入りで載っていて
うちの子はなぜあの日登校しなかったんだろう
なぜTDLだったんだろう・・・と思ってしまったよ(笑)

そんなアンラッキーな娘は、学校が震災以来ずっとお休み。
学年末試験の解説授業、修了式、(出ないけど)卒業式まで
全て中止。何もそこまでしなくてもと感じますが(^^;
2年進級時は理系文系などコース別に分かれてしまう為
学校行ってクラスのみんなに会いたい!とずっと言ってたけど
結局クラスのみんなで集まってお別れできなかったね。
すごい良いクラス&担任だったので残念そうでした。

後日、担任の先生からみんなへ感動的なお手紙頂きました。
学年末試験の答案、通知表、春休みの膨大な宿題と共に!